小学生による「まちで暮らす人生の先輩への『聞き書き』」 vol.1 「子どもの頃の栄町」
総社小学校区地域づくり協議会では、総社小学校の生徒有志が、地域で暮らす人生の先輩に、懐かしいまちの様子や暮らしぶり、昔の遊びや食べもの・地域に残る伝統・文化など、お話を聞く「聞き書き」を始めました。
「聞き書き」は、お話をボイスレコーダーに録音し、書き起こして整理し、話し手の話しことばだけでまとめます。
自分の住むまちの人に触れ、世代を超えた対話による交流を目指します。
「子どもの頃の栄町」
話し手 北村 忠士さん
聞き手 石田 色七 北村 奏 新野 憧子
北村 忠士です。年齢は現在81才です。栄町で日用品を売ってました。親の後を継いで陶器屋。75才でやめました。今は無職です。やめたきっかけは、年よりになったから、お客さんに迷惑をかけたらいけんからと思ったのが一番かな。
昔の商店街
栄町には商売しょうる所が45,6件あったじゃろうかなぁ。それが今は秋山の麹屋とおおいしのまんじゅう屋、それから種物屋と大久保の家具と4軒じゃなぁ。
ここをバスが走ってました。ボンネットバス。商店街はにぎわっとたよ。栄町から田町までアーケード街じゃった。夏は土曜夜市、冬は誓文払いとか、カラオケもしょうたな、自動車は無かったから、自転車に乗って大勢来られとった。3つ映画館があったなぁ。芝居小屋の寿座というのがあったけど火事で無くなった。リブができて、ショッピングセンターができてから衰退したなぁ、商店街が。
総社小学校のころの思い出
小学校の頃は缶けりとかコマ回し、テレビジョンが無かったので、外で遊ぶことが多かった。ケンパもしょうたな。お宮が近かったから、お宮の木に登ったり、魚も捕ったりとか。小学校の給食は、確か5年生ごろから週に1ぺんコッペパンと脱脂粉乳のミルクぐらいが始まったかな。ほとんど弁当を持って行くのと、栄町ぐらいまで、本町の人も家に食べに帰りょうたじゃろうな。家でお昼ご飯食べてから学校に行くとき、お宮で遊ぶんじゃわ。始業時間に遅れて先生にげんこつ。痛かった。修学旅行が高松の金比羅山じゃった。 ぼくらの時代は5クラスあって、1クラス55人くらい。井尻野から来る人や福井新田からも来ょうたな。中央小学校も北小学校も無かったからな。
炭を入れて走る木炭車が走りょうた。
戦争は少し覚えてる
この辺は空襲は無かった。覚えてないんじゃけど岡山空襲は3才ぐらいじゃったかなぁ。電灯の笠に袋をかけて光が外に漏れないようにしとったわな。水島空襲はそんな事があったかなぁと、ちょろっと覚えとる。昭和20年に岡山空襲と水島の工業地帯に空襲、アメリカの飛行機が爆弾を落として行った。長良の辺で、岡山の方から大勢歩いて避難して来た人がおったらしい。お父さんは戦争には行かなかったけど、岡山に兵器を作る工場に行きょうた。
戦後はお芋なんかをよう食べようたな。ふかし芋とか。配給はそれしか無かった。カバヤのキャラメルを買えだしたのもその頃だったかなぁ。戦後の物資のない頃で。
小学生記者の感想
・昔の商店街はアーケードでボンネットバスが走りにぎわっていたけど、今はずいぶん変わってしまって、かなしい。
・にぎやかな昔にもどしていきたいと思った。そのためにできることってなんだろう。聞いて楽しかった。
・まちの人と話す機会がなくて、不安だったけど案外楽しかった。
「聞き書き」は話し手の喋り言葉だけで構成されています。
しかし実際は、話し手と聞き手の会話から作られるもので、その人の職業や想いを通し、そこに生きた人の人生を浮かび上がらせます。
自分の住むまちの人に触れ、対話による交流を楽しんでみませんか?
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